朝、自宅から駅まで歩く最中に、スーパーTopがある。
通勤に行く私よりも、きっと早く出勤して、開店に備える朝の風景。
そこに素敵なおじさんがいる。
あたしは勝手に「野菜売りの人」と決め付けているけれど、
その人の姿は本当に素敵だと思う。
毎週木曜日、野菜が100円均一で売られている。
平日にお休みを取って、早い時間に行かれることがあると、
そのおじさんが、スーパーの入口前の野菜陳列コーナーで、
「今日は○○が美味しいよ~」「○○と組合せて××とかね」
と、ちょっとした献立とか、どうして今日はそれが美味しいのかとか、
気に障らない程度の声量で教えてくれる。
そんなこと言われたら、買わずにいられないじゃない?(笑)
おばちゃんたちも買わずにいられないはず?(笑)
おじさんは笑顔で「毎度ぉ~」って言っては、
隙間の出来た野菜陳列場所にまた新しい野菜を陳列する。
仕事が終わって夜行くと、野菜は殆どなくなっている。
きっとおじさんが今日も頑張ったに違いないと、
勝手に思い込んだりしている。
野菜を買っている私たちを、
静かな笑顔と適度な声量で迎え入れてくれる。
そして美味しいものまで教えてくれる。
スーパーの中にも八百屋さんがいる。
なんだかその安心感が好きで仕方ない。
今朝は、野菜をダンボールから出して、陳列していた。
雨の中、黙々と野菜を陳列してた。
驚いたのは、おじさんが手袋をせずに陳列した後に、
野菜が入っている硬いダンボールを、難なく解体していたこと。
いつもは賑やかで優しい感じがするおじさんだけど、
今日はなんか雰囲気が違った。
でも優しい目はいつもと変わらない。
この人はきっと、野菜が好きで。
それを買い求める人が好きで。
そして何よりも仕事が好きなんだろう。
きっと野菜を作っている人達の顔も見えてるに違いない。
そして最後に食べている人達の顔も見えてるに違いない。
私の妄想は炸裂してて、実態はどうだか知らないけれど(笑)。
私はそのおじさんがすごく素敵だなぁと思う。
私も一生懸命仕事をしなきゃって思った。
直接、誰かの笑顔を見ることが出来なかったとしても。
今日、会社のクリエイティブディレクターの人が言っていた。
「アイディアが生まれる時は、最後にユーザーの顔が見えた時かな」って。
イメージでもぼんやりでも。
それが世の中に対して何かを提供するっていう本当の意味なのかも。
それがどんなに小さな世界だったとしても、最後の最後に、
人との繋がりが見えることって、意外と忘れがちだなぁって思いつつ。
自分に出来ることを、仕事でもプライベートでも。
たとえそれが人の話を聞くっていう些細なことだったとしても、
一生懸命「見る」ってことをしていかなきゃなぁなんて思った。
見えないものが見えること。
見えるものが見えないこと。
その隔たりはものすごく大きい気がする。
だから。
見えないものが見えるようになるためには、
「見る」っていう意識を忘れちゃいけないんだなぁと。
それが「本質」にも繋がる気がする。
私に何が見極められるかは判らないけど。
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